壁に向かう"卵"
よく冗談だろうと言われるが、実は、16歳か、17歳の頃、村上春樹の「ノルウェイの森」を読み、小説家になろうと思って、彼の母校に進学したいと思った。なんで、政治経済学部かとも聞かれるが、当時の第一志望は、文学部で、残念ながら、そこは落ちてしまったのだ。だが、村上春樹の小説に対する興味は、その後も衰えず、当時出版される新書は、全て買ったし、村上が住んでいたという大学近くの寮も探したことがある。つい最近も、久しぶりに「ノルウェイの森」を購入し、ひとしきりノスタルジックな気持ちに浸ったところだった。
今日、エルサレム賞を彼が受賞した旨のニュースが流れた。書籍の中で、平和に対する意見を述べたことを、ほとんど記憶していないが、しかしイメージ的に、彼が今や加害者になったエルサレムにおいて、この賞を受賞することには、心理的な抵抗があった。
しかし、さきほど、ニュースで彼の受賞スピーチを聞いた。
現地英字紙エルサレム・ポスト(Jerusalem Post)によると、スピーチに立った村上さんは、ガザ地区に対する攻撃を理由に、日本国内で受賞や式への出席辞退を求める声があったことを紹介。「イスラエルを訪れることが適当なことかどうか、一方を支持することにならないかと悩んだ」と明かした。そして考えた結果「作家は自分の目で見ていないこと、自分の手で触れていないものは信じることができない。だからわたしは自分で見ることを選んだ。何も言わないよりも、ここへ来て話すことを選んだ」と述べた。
(中略)また人間を壊れやすい卵、制度を壁にたとえ「固い、高い壁があり、それに1個の卵がぶつかって壊れるとき、どんなに壁が正しくても、どんなに卵が間違っていても、わたしは卵の側に立つ。なぜならば、わたしたち1人1人は1個の卵であり、ひとつしか存在しない、壊れやすい殻に入った精神だからだ。わたしたちが立ち向かっているのは高い壁であり、その壁とは制度だ」と語った。(引用:AFP 2009/2/16
...20年前もやられたが、また彼にやられた、そんな気がした。物書きは文字を紡ぎ、人を動かす、それが歴史を作る。
僕の心の中には、どこか村上春樹が住んでいる、いまだに。



